8冊目:テヅカイズデッド

・マンガ評論。「マンガは終わった」と語る人たちへのカウンター……でいいのかな?90年代後半は「マンガがつまらなくなった」と言われていたらしい。(実感0)

 

手塚治虫「地底国の住人」の耳男=ミミー=ルンペンの少年を題材にした記号的身体の話。耳男は最初「記号的身体」(壁にぶつかっても目が星になり「イテ!」と飛び上がるだけで損傷しない)を持った存在として描かれる。

 しかし、後半、ミミーやルンペンの男に変装して主人公を助け、病床につく耳男は1コマづつ「変装をとかれ」、耳男の姿で死んでいく。これを記号的身体→「死にゆく体」への描写である、とするのは興味深い。

 もっと露骨にするなら、「記号的身体をもった少女が現実的な行動をするごとに実際の人間に近くなっていき、死ぬことができるようになる」とかのプロットはどうだろう……とか考えたくなる。そこまで考えたところで結局「ジョン ぼく 人間だねえ……」と言わせている手塚治虫にはどうやってもかなわないなと思った(手塚治虫は天才)。

 

・少女漫画がときに「詩的である」とされるのは、「コマ(=漫画内の"時間の流れ"を規定するもの)」とセリフの関連性が薄くなっているからではないか、という説はなるほどという感じ。漫画内において時間を司るのは"コマ"だという意識はそれが逸脱されたときに強烈な印象を残すことができる。